【第1章Part 1:崩壊の前夜①】借金返済のために新築マイホームを作業員宿舎にしたら清楚な妻が寮母にされて、共有財産になった。

借金返済のために新築マイホームを作業員宿舎にしたら清楚な妻が寮母にされて、共有財産になった。

砂上の城、あるいは愛の檻

その家は、俺たち夫婦にとって「希望の砦」になるはずだった。

県内でも治安が良いとされる郊外の住宅地。南向きの角地。

真っ白な外壁は陽光を弾き、広めに取った庭には、未来のために柔らかな芝生を敷き詰めた。

まだ主のいない子供部屋には、南欧風の明るいクロスを選んだ。

一年前、俺はこの家を契約したときの震えるような高揚感を、今でも鮮明に覚えている。

だが今、その白さは、俺の薄汚れた心を照らし出す尋問室のライトのように感じられた。

「——おかえりなさい。早かったのね」

リビングのドアを開けると、キッチンから柔らかい声が飛んできた。

妻の佳純(かすみ)だ。

彼女はエプロンをつけ、濡れた手をタオルで拭きながらこちらへ歩いてくる。

ふわり、と出汁の甘い香りがした。

俺が地獄の淵を歩いている間も、この家の中だけは平穏な時間が流れている。それが今の俺には、ひどく残酷なことに思えた。

「ああ……今日は直帰だったから」

俺は視線を逸らし、鞄をソファに置いた。

佳純は俺の顔を覗き込み、少し心配そうに眉を寄せた。

「顔色が悪いよ? 新しい職場、やっぱり大変?」

「……まあな。覚えることも多いし」

俺は曖昧に笑って誤魔化した。

佳純とは大学時代からの付き合いで、結婚して五年になる。

派手な美人というわけではない。さらりと流れる黒髪は肩甲骨の下あたりまであり、普段は下ろしていることが多いが、今は家事のために後ろで一つに束ねられていた。

その小さなポニーテールが揺れるたび、白く華奢なうなじが無防備に晒される。

透き通るような肌。折れそうなほど細い手首。

結婚して五年。年齢的にも大人の女性になっているはずだが、佳純にはどこか、俗世の汚れを知らないような清潔な空気が漂っている。

俺しか知らない、真っ白な妻。

その細い体に、生活の苦労など背負わせてはいけないはずだった。

「ねえ、あなた。相談があるんだけど」

着替えようとする俺の背中に、佳純が少し言いづらそうに声をかけた。

ドキリ、と心臓が跳ねる。督促状を見られたか?

「……なんだ?」

「あのね、来月の私の誕生日なんだけど……外食、やめにしない?」

「え?」

「ほら、あなたのお給料日前だし。家で私が美味しいもの作るから。その方がゆっくりできるし、ね?」

 佳純は精一杯の笑顔を作っていた。

 俺は気づいてしまった。彼女のエプロンが、もう何年も買い替えていない古いものであることに。新しい服も、彼女はもう長く買っていない。

俺は何も言っていないのに、彼女は敏感に家計の危機を感じ取っているのだ。それでも文句ひとつ言わず、こうして俺のプライドを傷つけないように提案してくれている。

その健気さが、今の俺には猛毒だった。

「……ごめん」

「え? なんで謝るの?」

「いや、なんでもない。……そうだな、家で祝おう」

「ふふ、じゃあ腕によりをかけないとね」

彼女は弾むような声でそう言うと、キッチンへと戻っていった。

使い古されてくたびれたエプロンの紐が、彼女の細い背中で揺れている。

その小さな背中に向かって、俺は音にならない声で詫び、拳を強く握りしめた。

今はただ、彼女の優しい嘘に乗っかることだけが、俺にできる精一杯の誠意だった。


翌日、仕事の帰りにこの先行きの不安に体と心も支配されたまま、 

あてどなく歩き回り、たどり着いたのは自宅から数ブロック離れた建設現場だった。

巨大なクレーンが、重低音を響かせながら鉄骨を吊り上げていく。

大規模なオフィスビルができるらしい。

 日に日に高くなっていくその躯体を、俺はフェンス越しにぼんやりと見上げた。

 ——どうして、こうなったんだろう。

 始まりは、純粋な願いだった。

 

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