【第2章 侵食される夫婦の聖域 Part 1】借金返済のために新築マイホームを作業員宿舎にしたら清楚な妻が寮母にされて、共有財産になった。

借金返済のために新築マイホームを作業員宿舎にしたら清楚な妻が寮母にされて、共有財産になった。

猶予期間であった週末は、瞬く間に過ぎ去った。

月曜日の朝。

俺はスーツに着替えていたが、いつものように駅へ急ぐことはなかった。

今日から始まる「同居」の初日。

どんな人間が来るのか、まずはこの目で確認し、家主として最低限の釘を刺しておかなければならない。

会社には午前半休を申請してあった。

リビングでは佳純が、落ち着かない様子でエプロンの紐を何度も結び直している。

「……大丈夫だ。俺がいる間に来るはずだから」

俺はそう言ってコーヒーを啜ったが、その味はまるで泥水のように感じられた。

午前九時少し前。

家の前の道路で、ゴロゴロという不健康なエンジンの唸りが響いた。

窓からそっと覗くと、泥で薄汚れたワンボックスカーが、

これまで俺の愛車だけが止まっていた駐車スペースに、幅寄せするように斜めに突っ込んでくるところだった。

「……来たぞ」

 俺は立ち上がり、玄関へ向かった。佳純が小走りで背後につく。

 深呼吸をしてドアを開けると、運転席から一人の男が降りてくるのが見えた。

「――お、どうも。旦那さんかい? わざわざすいませんね」

男は額の汗を手の甲で拭いながら、愛想笑いを浮かべた。

 俺は一瞬、拍子抜けした。

 権田のようなヤクザまがいの男でもなければ、半グレのような若者でもない。

 そこにいたのは、締まりのない肥満体の中年男だった。

 年齢は四十代半ばか。

 作業着のボタンが腹の肉で弾け飛びそうで、襟元には長年の汚れが染み付いている。脂ぎった赤ら顔には無精髭が伸び、どこか酸っぱいような臭気が漂ってきそうだった。

「現場の頭やってる、阿久津(あくつ)だわ。今日から世話になるよ」

 言葉遣いはぞんざいだが、阿久津はペコリと頭を下げた。

 その態度に、俺の張り詰めていた糸が少しだけ緩んだ。

 (……なんだ、普通のおっさんじゃないか)

見た目は不潔だが、これなら話は通じるかもしれない。少なくとも、いきなり暴力を振るわれるような威圧感はない。立ち会って正解だった、と俺は内心胸を撫で下ろした。

「はじめまして・・・これから会社なのですが、まずはご挨拶と思いまして」

 俺は努めて穏やかに、しかし家主としての威厳を保つように挨拶を返した。

 阿久津の後ろから、若い作業員が三名、ダルそうに降りてくる。

「おーい、お前ら。挨拶ぐらいしろよ。旦那さんが待っててくれたんだぞ」

 阿久津が声を掛けると、若衆たちもボソボソと頭を下げた。

「あ、どうも」

 阿久津は俺の後ろにいる佳純に気づくと、ニカッと歯を見せて笑った。

「そっちが奥さんか。むさ苦しい連中だけどよ、ま、よろしく頼むわ」

「は、はじめまして……妻の佳純と申します。至らない点もあるかと思いますが……」

 佳純は深々と頭を下げた。

 阿久津は「へへっ」と笑うだけで、特に佳純をジロジロ見ることもなく、すぐに車の方へ向き直った。

「よし、荷物入れるぞ。さっさとやんねえと現場遅れるからな」

だが、彼らが玄関に足を踏み入れた瞬間、俺の安堵は別の種類の不快感へと変わった。

「お邪魔しまーす」

 阿久津がドタドタと上がり込む。

 彼が靴を脱ぐと、強烈な蒸れた臭いが鼻を突いた。

 さらに、その肥大した肉体が廊下を歩くだけで、広いはずの廊下が急激に狭く感じられる。

 作業着のあちこちに付着した油汚れや、埃。

 阿久津が壁に手をついて靴を揃える仕草ひとつで、真っ白なクロスに薄黒い手垢がついたような錯覚を覚えた。

「一階の和室とリビングの一部を使うって話だったな」

 阿久津はズカズカとリビングに進み、腹を突き出して部屋を見渡した。

「へえ、いい家じゃねえか。新築か?」

「ええ、まあ……。あ、その荷物は和室の方へお願いします」

 俺が指差すと、阿久津は「あいよ」と短く答え、ドンッ、と薄汚れたスポーツバッグを一旦フローリングに置いた。

 そこは昨日まで、佳純が毎日磨き上げていた場所だ。

 俺はその光景を見て、眉間の皺が深くなるのを止められなかったが、阿久津は気づく様子もなく、タオルで首筋の汗を拭いている。

「さて、旦那。そろそろ時間じゃねえの?」

 阿久津が時計をチラリと見て言った。

「俺らもすぐ荷物置いたら現場出るからよ。夜には戻る。晩飯、楽しみにしてるって奥さんに伝えてくれ」

 そう言われて時計を見ると、予定していた出社時間が迫っていた。

 これ以上、ここにいても俺にできることはない。荷物の搬入を見張っていたところで、彼らの体臭や汚れが消えるわけではないのだ。

「……じゃあ、頼んだぞ」

 俺は佳純に声をかけた。

「はい。行ってらっしゃい、あなた」

 佳純は気丈に微笑んだが、その視線は不安げに、廊下に置かれた阿久津の汚れたバッグに向けられていた。

 俺は逃げるように玄関を出た。

 駅へと向かう道すがら、俺は自分に言い聞かせる。

 思ったより普通の人たちだった。乱暴なことはされないはずだ。

 だが、鼻の奥にはまだ、あの阿久津の蒸れた靴下の臭いと、脂ぎった中年男の気配がこびりついて離れなかった。

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